愛情のカタチ

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バタバタしているうちに年末になってしまいました。
今年も一年ありがとうございました。
今年最後のコラムです。

この仕事をしていると、本当に色々な「飼い方」に出会うことができます。
とてつもなく甘やかして飼っている家庭もあれば、逆もあります。

自分なんかよりもずっといい食べ物をもらって、いい服を着ている子もいます。
かと思えば、生まれてから10年以上一度もブラシもかけてもらったこともなく、
庭につながれている子もいます。

過保護にしている家庭の方から見ると、そうでない家庭の子は虐待されているように見えるらしく、「なんとかしてよ!」と言われる事すらあるほどです。

ただ、それはどうかな?と思います。
自分に依頼してくるような飼い主さんは、カタチはどうあれ、犬に対して愛情を持っているのは間違いなありませんから。
自分としては、ゴハンを十分にもらえて、雨風と暑さ寒さをしのげる家があって、ある程度触れ合う時間を作ってもらえているのであれば文句はないです。
表情を見ればわかるはずです。どの犬も笑うことができています。
逆にどれほどいい環境で飼っていても、飼い主が一切かまっていないのであれば、それはかわいそうだと思います。
うちの子のバルは、出会ってから笑うことができるまで相当時間がかかりましたし。
全ての犬に服を着せて贅沢なゴハンを食べさせることが幸せだとは思いません。
うちがそうであるように、貧しくてもたくさんかまってあげるほうがいいと思っています。

外で飼われている犬に、「かわいそうだから」とすごいおいしいオヤツを勝手に与える人がいますが、それこそかわいそうだとも思います。

知らない方が幸せ、といこともあります。
今までは味気ないゴハンしか知らず、それはそれで満腹になり満足していたかもしれません。
それがほんの気まぐれであげたオヤツひとつで、急に今までのゴハンがつまらないものになるわけです。
継続できなければやらない方がいい、と思います。

つまり、飼い主ができないことは、他人が手を加えるべきではないと考えています。余計なお世話ってもんです。
手を出すなら最後まで世話をする義務が生ずると考えるべきです。

犬にとって一番うれしいことは飼い主と共にいること。
シッターとして留守宅に行く自分は、飼い主と離れても犬が普段と同じ状態でいられるように、笑っていてくれるように維持することで精一杯。

自分は飼い主の代わりにはなれません。
できてアドバイスくらいです。

来年も一頭でも多く微笑む犬が見られますように。

2006年12月30日(土)


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