我が家と鳥。

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ちほ
先日からいろいろあって、自分が珍しく病気をしたりバイクで事故にあって一ヶ月以上も病院通いをした頃、


時を同じくして姪(姉のコドモ)が川崎病という病気にかかった。

川崎病というのは難病で、原因不明の病。一時は危ないんじゃないかと言われたけども、
治療のおかげでなんとか小康、かと思ったら今度は脳に水がたまって、脳外科で手術などなど。
それでうちの両親も東京まで見舞いに行ったりしてバタバタしたりしていた。

で、今も母親は東京に行っていて、普段はバルと二人住まいのこのボロアパートに
実家からジルを預かって少しにぎやか。
ずっと人がいるわけではないけれど、バルがいるし、いつもより散歩はたくさん連れて行ってあげられるから、
ジルは満足そう。

でも、実家に残してきたインコたちが問題ありだった。
うちにはずーっとセキセイインコがいる。いや、いた。

自分が生まれる前から何羽かいて、それが子供が生まれたり、どこかから飛んできたりで増えて、
自分が中学生の頃の最盛期には20羽近く飼っていたと思う。
セキセイ以外にもコザクラインコも飛んできていた。
先にメスが飛んできて、後にオスも来てつがいになった。
その子はとっても人に慣れて可愛がっていたのだけれど、そう長生きはしなかった。
メスが死んでから、オスがゴハンを食べずすぐに死んでしまったのがとても印象的だった。
コザクラインコはラブバードと呼ばれるとおりだったのだけど。

そんなこんなですごい増えたので、ある頃からうちでは子を生ませないようにした。
いつのまにか飛んでくる子もなくなった。
そうして徐々に数を減らして、最後まで残ったのが4羽。
お父さんとお母さんと、その子2羽。子供は別に生まれたのだけど、どういうわけか二羽とも足が悪かった。
生まれた気配はあるのに、いつまでたっても巣箱から出ないので出すと、まったく足が立たない。
なので別にハムスター用の小屋を二つ用意して、地べたを這って生活させていた。
人には良く慣れたし、手間も余計にかかるから思い入れが強かった。

その中で唯一人が嫌いだったお母さんが死んだのが、たぶん6、7年前。
そして子供の一羽が死んだのが3年くらい前だと思う。
15年くらいは生きていた。

それから残るお父さんと、もう一人の子供はさびしいながらもマイペースで元気にすごしていたのだけれど、
先日、2007年の3月22日、最後のインコが死んでしまった。
相次いで。

普段、実家が留守のときは自分が鳥と植物の世話をしに行くのだけど、今回は父が居るので、任せて行かなかった。
春休みのせいか異常に忙しかったし。

そしたら14日に子供の方が死んだと父から連絡があった。少し前から弱っていたので心配はしていたのだけど。
ちょっとガックリしていたら、今度は22日、あとを追うようにお父さんの方も死んでしまった。
20歳を越えているくらいの長寿だったので、もうだいぶ弱ってはいたのだけど相当ガックリきた。
一番人になついていて、コトバも喋れる子だったし。
翌日火葬場に連れて行ったけど生きているときと同じ姿で特に苦しんだ様子もなくてよかった。
体の不自由な自分の子が全て逝ったのを見送って力尽きた、という感じだった。

今、姪の病気も快方に向かいつつあるようだし、死んでいった二羽のおかげかも知れないと思った。

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